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2011年2月

2011年2月27日 (日)

ときには「ぜつぼう」を抱きしめて。

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夕方にね、たえの新しいシークレットブログを読んでね、
あーなんかいいなあ、あたしも詩を書きたいよーって思ったんだけど、
書きたい詩がなかったから、ぼんやりたえこの詩を見てたの。
ぜんぜんちがうことばなのに、どこかじぶんのことばみたいで不思議だなって思ってたのよ。

作品を一本かいて、次の作品に向かうときって、どうしてもリセットする日がいるんだよ。日程や予定に追われてなくて、次の作品のこと、考えているんだけど考えてない、、みたいな。空っぽでニュートラルな日、そういう状態。
人物相関図を書こうかなあ、、って思っているんだけど、書きはしない、、みたいな。かたっぱしから毛皮のマリーズが出てる雑誌をアマゾンで買った。
ここまで誰かに心酔するのは久しぶりではないか。
そこまでにこの志磨遼平という人間はあたしの人生をゆさぶる。
いや、タイミングがマッチしたのかな。短編集が企画として通ったら(短編を却下されようとも)きっと冒頭にわたしは、
このTOKYO OASIS(仮題)は毛皮のマリーズ”ティン・パン・アレイ”の音楽、その豊潤によって生をうけた東京のための短篇集です
とただし書きすると思います。それを却下されようともあたしは戦うのだ!
この壮大なオマージュの邪魔はさせない。

さいきんずっと誰かしらが泊まりにきてて、
「空間」「わたしとわたしだけの空間」が欲しくて気が狂いかけてたけど、
今日は夕方からひとり。
ちょっとリセット。
ついでに、リセットするのに邪魔な「ポジティヴ」もポイっ(笑

自分が実は、とってもネガティヴに、なにかを諦めるありきで、何かに手をのばして生きてきたことを知ったのは最近で、それ以来、
次に生まれ変わったら、とかいらないのだ。もう生まれ変わらなくていい!と思えるくらい最高に幸せに生きて、人生を終了するのだ!
と超、ポジティヴに生きてきました。
もちろんこれからもそうするよ。

でもたまには、慣れ親しんだネガティヴに身を委ねて、ぜつぼうの傍でコーヒーを飲んでいたいのです。

なんだかそれが、1番「無理してないじぶん」だったりして笑える。
ぜつぼうの傍が落ち着くなんて。

だから思います。
「先回りして諦めるって、希望をもつことよりずっと楽なんだなあ」
って(笑
期待しなくていいんだもの。傷つかなくていいから楽。

ああもう、
わたしにはやっぱり無理だよ、これ以上がんばれない
って、本人にむかって言ってしまいそう(笑)

それを言わないかわりに内にこもる。
2週間くらい携帯捨ててしまいたいな。

ある男ともだちの愛に触れて、わたしに向かうじゃないよ、誰かを想う愛に触れて、純粋に思ったよ。
「男の子ってこんなふうに女の人を愛することができるんだな」
って。
しみじみ思ったよ。
わたしは生きてきて、いままでいちどもそれを目の当たりにしたことがない。
わたしに向かってくるそれを見たことがない、感じたこともない。
いちども。
いちども。

だから、見たこともないものが見つかるって信じるのは、けっこうなエネルギーが要るなあと思ってしまう。
ほんとユニコーンを探すみたいに。

なんて言ってたら、みいきさん(妹)に
「例の(おなじみの)愛をあきらめぜつぼうするっていうあのチューンに入るのだけはやめてね」
ってそっと言われてしまいました。

うん。そうだね。いつもあたしのたどり着く先ってそこだよね。
いま地震がおきたらひとりさみしく死ぬんだ、、、みたいな(笑
誰かにとっての特別な誰かに自分がなることは一生ない。みたいな。
でも。
それは逃げることだからしないよ。
そう思ってるからそうなんだもの。
そう言ってしまったらとっても楽だしね。

せっかく「きぼう」を持とうと思えた愛だもの。
たった半年で投げ出したりはしたくない。

だけどたまにはちょっと休憩。
ネガティブと隣り合ってお茶。

人って変わるのには勇気とパワーがいるのだよ。
そしてときおり昔の自分でいることを許してやらないとしんどい。
今日は許してやろう。
今日だけは愛をあきらめていいよ。

いつもこっちがあなたの心の扉をノックできる元気があるとは限らないんだから。
あたしのノックに心動かされたなら、あなたがこんどは迎えにきて。

あたしはしばらくあたしの部屋で、静かに創作活動に精を出します。

中途半端な反応より、大きな行動をみたいのよ。
そこに浪漫があるじゃない。
そこに夢もあるじゃない。
きぼうも。will be there.

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2011年2月24日 (木)

世界はあの子のように、

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【毛皮のマリーズ/欲望】作詞作曲 志磨遼平

夢から覚めた今もまだ 僕の目は覚めないままだ
僕はひとりでささやかに 人生をかわいがる

さあ 灯りを灯して夜を更かそう
世界と同じこの部屋で僕も今 生きている
月の光 おおかみと私のもの
太陽はあのコのように 世界を正しく照らせ

なにがまちがってるもんか 他になにがいるもんか
夢から覚めたいまもまだ 僕の目は覚めないままだ

ああ悲しい夢もみたね 過ちだってあったかも
だけど僕たちはこんなにもすこやかだうつくしー!
そう 全て分かち合おう 全てを手に入れよう
なにも捨てず、なにもあきらめず 僕らは年をとろうよ

おはよう(おはよう) あいしてる(あいしてる)
おやすみ(おやすみ) もう離さない(離さない)

夢から覚めたいまもまだ 僕の目は覚めないままだ

世界は 今も夜明け前 大丈夫 大丈夫
ずっとずっと ふたりでいよう 大丈夫 大丈夫

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この惑星(ほし)の上の僕と銀河

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この言葉は思いつき。でも、この言葉を欲しいと言った人がいるのでそのひとにあげることにしました。
でもなんとなく使いたくてつかってみる。

嘘みたいな変な話があります。

先々週の日曜日、ひとりで夕方寝ていたら、悪寒がして、金縛りのなんかぜんぜん種類の違うやつ、背中が割れてそこからなんか大クモのようなカニのような、ゴーストで死んだ人を連れて行く黒い影みたいな、そんなのが「ガサガサガサッ」って出て来て首を這うようなかんじ、それはある意味ムカデのような冷たさでもあって、
わたしは「奇妙な感じがしたときは、自分の名前を言って、そのひと以外は死んでいますよ、と唱えなさい」とあるひとに教わったので、それを唱えたら、そのガサガサは、ガサガサっってどこかへ消えて(エクソシストのような感じだね)
零下1000度くらいの悪寒だけが一瞬そこに残りました。

この出来事を六年つきあいしている整体師さん(でありなんか不思議な人)
に話してみたら、
「うーん、いま酔ってるけどね、、、」
といいながら
「小学校三年生のときを思いだしてみて」
というので、一生懸命思いだした、もなにも、小学校三年生は、みいきが生まれ、引っ越しをし、なんだが漠然と「作家になる」と言い出したころ(それが五年生になって女優になる、に変化)すごく明確に記憶がある。その前と次の年のことは覚えてないのに。

新しい二階のピアノと本の部屋にこもり、いわさきちひろさんが挿絵をした人魚姫を読んだのも、この家にあるはずの秘密の部屋を探したのもそのころだ。

あなたそのときに死神と取引をしたのよ。小説家にしてあげる代わりに魂をちょうだいって。あなたそれで深く考えずに(うん)っていってしまったの。
だからあなたの考えって全部取引だったのよ。死に神って取引だもの。
でもあなたこないだわたしのところに整体しにきたとき、わたしに

”どうしてひとつなの? いいのよ、夢も、恋も、お金も、全部手に入る、欲しい幸せは全部手に入るのよ、そのために生まれてきたのよ”

って言われてすごくびっくりしてた。
でも、そうなんだ、ぜんぶいいんだって思ったから、これ以上繋ぎ止めておけないって死に神が出て行ったの

なんの根拠もない話だけど、わたしははっとした。

わたしの生きかたの中に大きく住んでいるおとぎ話の姫がいるとしたら、それは確実に人魚姫。人魚姫のワルツのイントロを作曲して詩を書いたこともある。
自分のいきかた、それは人魚姫だった気がする、長いあいだずっと。

「足が欲しいですか、じゃあ声をください」

わたしはどことなくいつも、夢を叶えるために何か、たとえば恋とかを諦めて、捨ててきた気がする。

完全なまるとしての幸せはないと思っていて、大きなものは、どちらか、を選ばなくてはいけない気がしてた。成功か、愛か。

そして不思議なことに、その整体に行って、ぜんぶを手に入れようと、まっすぐ幸せというものに向かっていっていいんだと思った次の日、
わたしはなぜか、その二階の部屋の話を小説に書いた。
見つからない部屋を探す話。
そうして部屋のあちこちの扉や奥を探した話。

「そのときにまちがって、開けてはいけない扉をあけてしまったんだね」

そのひとは言ってた。事故だったの。アクシデントだったのね。
わたしがどこかあなたのことを魔女みたいだと思って、近づきたくないなと思っていたのは、それでだったのかもね、とも。

たしかに不思議だ。
わたしはふつうに生きている限り、そうダークでもないし、わりとピュアな感じで(笑 健康に生きている。でもたとえば、何か役を演じるとしたら、白雪姫の継母であるとか、魔女の役であるとか(実際魔女の役はもう何回もやった)
どこか心に冷たい底冷えしたものを持っていて、魂の売り買いをする役、
なんかそれ、すごくうまく演じられる気がしてたんだよね。

死に神と取引か。ぜんぜん覚えていないけど、
思いだすとしたら、二階のピアノの部屋の毛足の長い絨毯にお尻をつけて人魚姫を読んだ日。思い入れが強すぎて、何時間もその場を動けなかった。
漠然とひとごとじゃない気がして。自分もこんなふうに、大きな犠牲を払って何かを手にいれたのに幸せに届かずに泡になってしまうような気がした。
それはたぶん前世がどうとかじゃなくて幼すぎて、頭にがつん!とそういう生きかたが感覚として憑依しちゃったんだろうな。
もしかしたらそのときに、ちょっとしたボタンのかけちがいで、
死に神を呼んでしまったのかもしれない。

ともあれ「死に神エクソシスト的大クモ」はあたしのからだから出て行ったのだ。

あたしのからだにはいま「取引」はなくて、「きぼう」だけが詰まっている。

僕はいま、この惑星(ほし)の上に足をつけて、まっすぐに銀河を見上げている。

何もあきらめない。ただただ幸せに向かうよ。
じぶんが泡になって消えてしまうことをもう心配したりしない。
何かを得るために何かおおきなものを差し出したりもしない。
どんな苦難が起ころうとも、銀河の奥の「幸せ」という光だけを見つめて、
まっすぐにそれに向かうんだ。

きぼうだけに溢れた歌は嘘に満ちていると思って憎しみにも近い嫌いかたをしていたけど。わたしの人生のテーマソングはずっと”i've never been to me"だったけど「自分自身にたどり着けなかった」歌をテーマにするのはもうやめよう。
そう思って、昨日やった心理テストにはそれを書かなかった。代わりに毛皮のマリーズの曲を書いたんだよ。ほら、人生は心もちひとつで、こうやってすこしづつ変わっていく。タロットカードのひとつを意志をもって反転させれば、全部がポジティヴに裏返る可能性を持っているように。

ああ。
夢から覚めたいまもまだ 僕の目は覚めないままだ。

わたしはあなたの歌を胸に、人生向かうよ。
もう幸せに向かうことを恐れたりしない。
この「ティン・パン・アレイ」というアルバムを抱きしめて、
「東京の為の作品集」といううたい文句を知らずに、
「東京OASIS」という短編集をちょうど今朝ひとつ書きあげた。
♪hefner"We love the city"のための小説♪
MADO LOUNGEーマドラウンジー
これが却下されるかどうかはわからないけど。

でも。

太陽はあの子のように、世界を正しく照らせ。

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2011年2月17日 (木)

弦楽四重奏第九番ホ長調「東京」

弦楽四重奏第九番ホ長調「東京」
愛しきかたちのないもの 僕らはそれをー"東京"と呼ぼう

毛皮のマリーズ。
ティン・パン・アレイ より

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2011年2月16日 (水)

広告コピーのお仕事をしました@滋賀

Photo
という程おおげさなものではないのですが、
滋賀県のあるマンションの広告コピー(雑誌用の)を書かせて頂きました。

広告というかコピーのお仕事はずっとやってみたい仕事のひとつで、
ゆくゆく10年後とかにできたらいいなあなんて思っていたのでとても光栄です。

滋賀県在住の方、SUUMOをチラ見してみてください。
ふつう、コピーを書いたひとの紹介なんてしてもらえないよね。
ありがたいかぎりです。


http://suumo.jp/mansion/__JJ_JJ010FJ100_arz1060z2bsz1010z2ncz166443254.html

これはわたしがコピーを書いた物件の詳細です♪

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2011年2月13日 (日)

バレンタイン♪

バレンタイン♪
ひとあし早く、こんなの頂いちゃった〜♪きゃきゃっ♪頂くのみであげる予定はありません 笑

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2011年2月 5日 (土)

はじまりの歌

目に見えないもの、得体のしれないもの、裏付けのとれないもの。
ユニコーンやサンタクロースの存在を信じるように、

たとえば人の心の奥に眠るキミドリを信じてみるっていいなあって、
生まれてはじめて思いました。
いや、実感しました。
こういうのをことばで「てごたえ」っていうんじゃないかな。
見えないけど手や胸で感じる答え。
それが、じぶんだけが感じる儚い強度でなく、
じぶんの周りにも伝導したことを感じる感じ。

種が埋まってるかもわからない土地に、種があると信じて毎日水をやることは、ほんとうに、心か折れそうになる作業だし、たとえが出てもそれらが花を咲かせるまでに、なんども枯れそうになって、困難に絶望しかけて、また心結んでトライして。

ずっと続いてくその苦難が、逆に言えば「始まっただけ」なのかもしれないけど。

でも、きれそうな糸で繋がっている人と人を紡ぐ糸の、ほんとうの強さを信じ、
でも過信せずだいじに紡いで、花が咲くまで日々を重ねていけたらいいなって思いました。

純粋に今日は、うれしい。

今日夢に虹が出て来たなら、きっと、俺も見ていたよと、答えてくれるね。

わかってる。これはほんの「始まり
わかってる。
だからこそ、始まりの歌をうたって、今日は眠ろう。

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