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2011年1月18日 (火)

愛を許す

山田詠美さんのタイニイストーリーズっていう短編集のひとつに、
精神病院に入院した夫(夫はアル中)を見舞う話がある。

このタイニイストーリーズに関しては読んでるときに感動のあまり1話ごとにつぶやきまくって(twitter)最終的には、〆切りまえだったので「これ以上読んだら書けなくなる!」と本を閉じた。こんなにキラキラする言葉を享受したら、ずっと享受する側でいいや、まったくもって書かなくていいや〜ってなっちゃうもんね。

でね。その話。(ネタバレなんで読んでないひと読まないで!!)

旦那の検診中に、患者さんの中でも孤立してる男の人と主人公の女がいろいろ話をしてて、はっきりとは描写されてないけど、たぶん彼が精神を病んだ理由は実の妹を愛しているから、愛しているひとと交われないということっぽいんだけど、最後主人公がそのひとにこっそりフェラチオするシーンがあって、
恋をしていないひとの精液は飲み込めないので、ぺっと吐いたら、濡れたコンクリートの壁に、赤ちゃんヤモリの形になって、ぴとりと貼り付いた
という二行で終わるのだけど、
わたしはそこを読んだとき、自分へのふがいなさといらだちで、もうすこしで泣いてしまうところだった。

こんなふうに、モラルや道徳では測れない、ひととひとの瞬間、男と女のはざまに起こることを、誠心誠意、正直にスプーンですくって、あたしは裸で生きているのに、
なぜそれを書くことを畏れるんだろうって。

なぜ詠美さんのように正々堂々と不完全な人間として女として、ことばとことばの間に立てない?

それにきっとだれもが、法律や、小学校でおそわってきた人としての道徳を守って生きながら、それと相反する、衝動や葛藤に苦しんで、ときに秘密を抱えて生きているのに。

寂しさに負けて好きではないひとに、なんの準備もなく抱かれてしまうこともある。そこに能動的な割り切りがないときは、それはまったく不健全なセックスであって、自分が招いた不慮の事故であってあたしはいますぐ自分が死んでしまえばいいと思って、明け方のゴミみたいな街のへりで、こどもみたいに声をあげて泣いた。あまりにわあわあ泣くので、黒い口紅をしたXファンみたいなオカマが慰めにきた。
泣きながら、30歳をすぎてもこんな風に泣くのだから26歳であたしを産んだママにもほんとうはたくさん泣きたい夜があっただろうと、ふと思った。

かと思えば、好きではない人とのセックスだけど、それはそれで必要な愛しむべき瞬間だったと思えて、たいせつにこころに仕舞っておこうと思えることもある。
そのときそれは誰かへの裏切りではなく慈しむべき秘密になる。

たとえばあたしには恋人がいないからそれらのすべてを正当化することができるけど、もしかしたら恋人がいたってそういう瞬間は降ってくるかもしれない。だってすきまは必ず訪れる。長く愛し合ってる男女のあいだにだって。だから未来予想図のように1秒のすきまもなく心と心が結びついてることなんてないし、そんなのは奢り。虹のように儚いものを絶やさぬように、皮肉だけど雨を降らしていくんだ。

でもそれらすべては、ラジオでも、テレビでも、ブログにも書けない不道徳なことだ。

でもそういう扉や障子や引き出しや、カーテンを、全部閉めたら、
あたしたち、生きていけるかな。
山田詠美さんはすくなくとも、引き出しを開けて、そのことでたくさんの愛を許している、あたしもそうありたい。

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コメント

桃果子さんのブログに、私はいっつも心揺さぶられてます。
理想の自分がいて、頑張ってそっちに向かって歩いてるつもりなのに、全然違う守りだらけの情けない自分になっちゃったりしてて。

そんな時、勇気を出して(揺さぶられるから時には勇気出さないと読めないの)桃果子さんのブログを読んで、心がぎゅっと痛くなりながらも、進むべき道をもう一度、教えてもらうのです。

これからも楽しみにしてます♪

投稿: 菜菜子 | 2011年2月 5日 (土) 19時16分

菜菜子ちゃんへ

ひととひとの繋がりって、一緒にいる時間や、会う回数や連絡の頻度ではないとわたしは思っています。だから、こうして時折コメントをくれること、嬉しく思っているし、ゆっくり、わたしと関わってくれたらそれだけでとてもありがたいこと。

遠巻きだけど、応援しています。
そういう距離も、ときには大切だよね。

投稿: もかこ | 2011年2月 7日 (月) 04時38分

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