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2010年8月16日 (月)

詩声

「うたごえ」をmacで変換するとまず「詩声」になった。
おバカちゃんなmac、でもおバカちゃんはたまにすてきな言葉を運んでくるのね。

8月15日の空はいつも高くまぶしい。やましさの欠片もない青空の下で、
そう遠くもない昔、戦争が終わったことを、必ず晴れる8月15日の空は思い出させるので、いつもすこしだけ戦争のことを考える。

バーベキューをしていたり、
プールで気持ちよく泳いでいたり、
家族と一緒高原を歩いていたり、
あるいは誰かのきれいな鎖骨を齧っていたりであるとか、

いまを生きるあたしは何かを食べ、何かを吐き出しそれらをくりかえす日々で手いっぱい、神妙にそこに居座って歴史と向き合う余裕をもてないことを正当化しつつも、やましさの欠片もない青空の下に放り出されると、
それらイッサイガッサイに夢中になっていた自分をすこしごめんなさいと思う。

向こうから、喪服の人がどんどん歩いてきたよ。
ひとり、ひとり、喪服の人たちとすれ違い、彼ら彼女らの目的は、8月15日ではないのだけど、夏の陽炎にゆらめきながらこちらへ向かってくる彼ら彼女らは、歴史を弔っているように、あたしには見えた。

その流れに逆流してあたしは歩く。
すれちがうかれらの頭のなかと、あたしの頭のなかは、あたりまえだけど、
まるで違う思考に満ちて、あたしは彼らとはぜんぜん違うことを、あたしなりに考えて歩いていたよ。

足が痛いな。荷物を下ろしてサンダルにはきかえよう。
駅遠いな。喉がかわいた。去年の今日はなにをしてたっけ。
荷物が重いよう。あの日もこんなに晴れていたのかな。
とか。
いまじぶんが直面している、またはしていたできごとに関してのもろもろ、とか。あたしの今のイッサイガッサイ。2010年の。
ふつうこういう朝というものは、朝日にさらされてもっと切なくなったりするのではないのかい、それなのにどうしてどこか誇らしくすらあるの、うれしいの?うれしいとしたらばまたわたしは世間のまとまりとは、またひとつ川向こうの住民になってしまうよ。ふつうこういうときは女の子はため息なんかついてお日様に顔を向けられないものじゃないかしら。

♪時々やはり幸福なんてものを考えるの
 だけどそれはいつもわたしみたいに
 好都合と不都合の間をただいったりきたり、
 しているだけのものじゃないかしら~

耳には未映子の詩声。歌声。
未映子の詩はちかいところにあるね。
そうね。あたしのこの安心も、好都合と不都合をただいったりきたり、
すなわちそれは、幸福というものじゃないのかしら?

あたしはふしぎなことにいまそれなりにとてもこうふくなの。
 

あたしは猫です。
安心しきった、野生の猫。
野生の猫は、安心しきらないでしょう?
でも世界にもしたった一匹でも、そんな猫がいたら、
ともだちになって、この安心をわかちあいたい。


8月15日の空は清潔に晴れ。歴史を呑みこんで晴れ。
ある種の弔いと、いまのイッサイガッサイをを受け入れて空に溶かすよ。
あたしはだから、ふたつのことを同時に考えていた。
1945年の8月15日と2010年の8月15日のことで膨らんだそれなりの頭は、
同じくふたつの8月15日を抱える喪服とすれ違う。


空が高い。

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