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2010年5月26日 (水)

本音の話

たまには本音を書いてみても‥。
なんかさ、パリから戻ってきて、自分はいろんなことが少しづつ変わってきて、段々自分がヘルシーになってきているように思うのだけど、
そういうのが思い込みでなく、自分の周りの環境が変わりつつあるのだなと感じることが最近増えた。

わたしは割とバカにされやすい。見下されやすい、特に男に。
それは20すぎた頃から一貫してそうで、相手がわたしを人として好きというのとも関係がない。
こいつ一緒に飲むのはすごい楽しいけど、休みの日に隣を彼女みたいに歩かれるのはごめんかも

男の人の本音ってシンプルです。

あ、これ男友達の話ね。
あたしにとって「男友達」っていう存在ってとても大切だからさ。あたしの人生は常に多くの男友達との時間の共有が軸になってる。小学校のときから、そう。男と居るのが楽なのね。
違う生き物だから逆に楽なの。

でも所詮は男友達の定義って、女として魅力があると判断したうえのつきあいだったりもするよね。
でまあ、昔から、染まらない数人の大切な男友達っていうのがいて、あたしはそれを大切にしながら、あたしに対してちょっと見下しがある大半の男の知り合い(ときに友人と呼ぶことも)となんとかつきあいをしてきた。

でまあ、大事な人のなかにも、いまは疎遠になってしまってる人とか、まあ、肉体関係をもってしまった人とか、遠いところに住んでてあんまし会えない人とかがいるなかで、すごいニュートラルな状態でわたしがぱっと頭に浮かぶ男友達って石川伸一郎なわけです。

彼はほんとうに、あたしを「痛いオシイ」といいながら、ほんとにだいじに扱ってくれて、
もともとは「おまえみたいな痛いオシイ女を、そのままでいいから舞台にのっけたい」みたいなことだったりしたのだけど、で、その期待に応えられなかったのだけど(イクイノックス)その舞台は、ウッシさんやその他鋭い着眼点を持っている人からは、「あなたがああいう感じで舞台にのるのであるのならばひょっとしてひょっとする女優になれるのかもしれない」と言ってもらえた、つまりそれだけあたしを理解し、生かした本を書いてくれた人なわけで、あのとき酷い芝居をしたことを正当化するつもりはないけど、やっぱり彼はあたしにgivingcloverな人で、蝶番を読んだときもほんとうに丁寧に愛にあふれた讃辞をくれた。あたしがねじリズムを心から応援したいところは、石川伸一郎があたしという女を恥ずかしいと思ってないところにおおいにある。

作家になって、「変な女だろ。でもこれでも作家なんだよ。新潮社とかから本出てるから」と、わたしを連れる男友達が言えることで、あたしの恥ずかしい女さはだいぶ救われた。でもだからほんとにそれってなんの解決でもないなと思うの。

あたしのこと恥ずかしいと思ってる。で、ちょっと下に見てる。

それはまさに数年あたしが感じてきたことだったんだけど、あたしはそう思わせるポテンシャルをもって生まれてきた自分が悪いなと思ってたし、たとえばごくシンプルに人としての好意を表したらそれをねじまがって受け取られたり、厭味な女だと思われたり、ない腹の底を探られたり、自分の言動に引かれるのものもしょっちゅうで、もちろん自分に非を感じてかえりみてたけど直せなくて、そういう男が見るからに愛らしい資質の女性にはびっくりするくらい優しくてなんでも許す(たとえ性格が悪くても)様とかを見て、あたしは男という生き物全般を憎んでたし、その分、まわりに流されずあたしを分かって愛してくれる男友達もしくは男を、こよなく愛してた。それは依存にも近いものがあったかもしれない。その依存が強くて失ってしまった関係もある。ほんとのあたしを見守っててくれた兄みたいだった先輩とか。あたしが何かを分かち合えたと思ったらけっこうすぐにその男と寝てしまっていたのはそういう部分もあるかもしれない。男の話にばかりなるが、不思議と女ともだちには、変な部分愛してもらえるんだよね。

でもめんたろう(石川氏)の芝居を手伝うことで、わたしはたくさんの仲間を得た。ほんとうの仲間を。
蝶番いま読んでる途中なんだけどあまりに感動してメールしてます」と長々と感想書いてくれた祥ちゃん。「いま暇ですか?」としょっちゅう連絡くれる岡ちゃん。
そういう意味でこんな出会いをくれためんたろうにあたしは凄く感謝してるし、わたしは彼をいつだって応援したいと思うんだ。たまにシュールな人でなしでびっっっくりするけどね(笑

こないだ岡ちゃんとたかやと飲んでたときにふたりがあまりにあたしの言葉や仕草につっこみを入れるので、あたしはいままでと同じように「ごめん。変なのわかってるけど直せないの。なんども直そうとしたけど直せないの」とフツウに謝ったのね。あたりまえにずっとそうしてたから。(ごめん あたしって恥ずかしい女でしょ)みたいな感じで。そしたら
なんで?なんで直そうとするの?そこがなくなったらモカコじゃなくなるじゃん。そこはモカコの魅力で、それが好きで俺らは一緒にいるんだから
と言われたとき、ほんとに、自分のなかで明治維新が起きたくらいの驚きがありました。
え?あたし、なおさなくていいの?恥ずかしくない?」みたいな。

一年前、ひどい失恋をして、あたしがこんなだから誰にとってもあたしは恥ずかしくて滑稽な女なんだと思って、すごく自分を嫌ってた時期があったのね。周りの男があたしが変なことをしたときに小馬鹿にした感じで言う「おまえダイジョウブ?」とかが大嫌いで。
そのときにあやめ(妹)が、”u r strange though...(あなたは変わったひとだけれども)”というタイトルのメールをくれたの。
i was thinking about what u said last night.
i know,we all know the fact u r strange,but i think its ur charm and nice people would think u are UNIQUE if we describe about u.

so if people didnt understand ur genious.its okey coz u've got few descent love by people around u.and i hope u should know that

わたしは昨日あなたが言ってたことを考えていたんだけど、たしかにあなたが変わっているという事実をあたしはしっている、でもそれはあなたの魅力であって、あなたの周りの素敵な人たちはそれをユニークと形容すると思う。もし、人があなたの才を理解できなくても、あなたはあなたの周りの幾人かの愛を得てるのだからそれでいいのよ。そしてそのことにあなたが気づいてくれることをあたしは望んでいる

わたしはこのメールが嬉しかったけど、正直そんなことを言ってくれるのは家族だからだと思っていた。だからこないだの高円寺の飲み会でそう言われたとき、すごくびっくりしたのね。

そしてそういう仲間が増えたことで、なんていうか、昔にそうでないことを間違ってとられてこいつキモイ」とか思われて傷ついたことや、あ、なんか都合よく使われてるなと思ったり、結局あたしの存在っておもしろいネタでしかないんだなと思わされた出来事とかがほんとにどうでもよく思えてきて、そいつらに媚びる必要なんかないなと、ほんとうに思えた。

そういう風に感覚が変わると見えるものも変わってくるものであって、たとえばれいこさんが「これイイ!」とかって言ってる歌で昔は(こんなの、人に大切にされてる人だけがぬけぬけといえる言葉だわ。あたしはしらじらしくって言えないわ)と思ってた歌詞に、すこしだけ共感できたり、新しい意味合いを見つけることができたりして、あたしは少し愛に触れることができたのだと思う。

なんとなくね、思うのよ。すこしづつ日なたに出てこれたなって。それはセンターで光を浴びてるってことではなくて、なんかたとえるならずっと長いあいだ、あたしが生息してた場所はじめじめしていて、ムカデとかダンゴムシや変なキノコのたぐいが棲息してて、そこで、傷つかないように踏ん張って、たまに出る太陽の光でかろうじて生きてたような気がするの。
もちろんそういうじめっとした土の中にも強くて優しい人がいて、そのひとたちに守られてあたしはあったわけだけど。
でも今は、なんとなくテントウムシやひまわりがいて、緑の多い場所で生きてるきがする。

不思議なことに最近絵文字に無意識に四つ葉のクローバーcloverを使う。それはすごく不思議だ。
昔はその幸せのモティーフってやつが大嫌いだったし、惰性でしか使わなかったのに。

でもまあ、愛がなかったわけではないんだよ。これは極端な話。

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コメント

やっと、ここまで、読破でけた( ̄▽ ̄;)
いま、2016年2月25日。
シャンと立ってるで~!モカティーナは!

投稿: たなかよしだ | 2016年2月25日 (木) 23時29分

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