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2010年3月 7日 (日)

上海バンスキング!!(長い前夜祭についての物語)

上海バンスキング大大大物語の始まりです。

あの上海バンスキングが、夢のように幕をあけて、からもうすぐ二週間。
来週(今週)いっぱいで幻のようなひとときが去っていってしまいます。

上京してから13年。上海バンスキングの再演を待ちわびる過程で(わたしとちほにとっては初演だよね、見れなかったわけだから)わたしたちは、自分たちの心の奥底の核となるものに似たものを、上海バンスキングの中に見つけて、それを培ってきました。

1997~1999年
ちほの家でくり返し上海バンスキングの映画(※松坂慶子のじゃないよ!!どこをどう履き違えたらあの映画になるんだろう??シャーリーマクレーンが出てたアメリカ人のエゴまるだしのシャネルの映画に通ずるものがあるわ!!あ。あたしはシャーリーマクレーンも松坂慶子さんも好きよ。ただ映画は両方認めない)
、舞台ビデオを見ながら、コクーンでの送り出しを眺め「見たかった~」と歯軋りしました。

1999年
そんな上海バンスキングの演出家、串田和美さんが日芸の先生としてやってくることに!!!この大事件を真っ先にかぎつけたのも熊田千穂でした。

2000年
あたしたちはとうとう「上海バンスキングのような舞台を!」と小船に帆をあげ、
舞台をつくります。今思えばこれは今日につながり、そしてこれからに繋がる、長い長い旅のはじまりでした。串田さんの家の近くまでおしかけ、アドバイスをあおぎ、
のっけ(旗揚げ)からミュージシャンを使って演奏するのはあきらめることにしました。
そのころわたしは10年後自分がモノカキになっているなんて全く思ってなくて、物語を書くなんてことありえない!と、井上ひさしさんの戯曲「花よりタンゴ」をお借りすることに。
思えば当時ちほも「歌を歌うなんてとんでもない!」と思ってたわけですから、人生って不思議。
2000web 2000
☆初演時のメンバー 稽古場にて(2000年)

2000年
同じ年、大学4年生だったわたしたちは、学内オーディションを勝ち抜き(ってほどではない)
串田さん演出の”にぎやかな揺りかご”に出演しました。

憧れの串田さんと一緒に舞台を作るチャンスをもらったのに、役者としての魅力が足りず、次に繋ぐことができなかったことは、つい数日前串田さんにあんなに優しく「小説家になったんだよな」って言ってもらえるまで、ずっと胸に、小さなトゲとして残っていたんです。

2002年
劇団としての二回目の公演で、わたしは初めて原作の脚色に挑戦しました。
新しいことにもたくさんチャレンジしました。
でも、自分の力量不足で、役者に不安な思いをさせ、みんなと心が離れました。

この公演のあとわたしは精神的に”ひとりぼっち”になってしまい、演劇に向き合うことが出来ず、このころから、いつか芝居にしたいこと、映画にしたいこと、を一人で書き始めたのです。

2003~2006
いつも一緒にものづくりをしていた熊田千穂と離れた3年間。
彼女は文学座を進級できず、趣味で歌を歌いはじめました。
あたしは芝居をする勇気がなく、物語を書き始めました。
070 新宿ジャスフェスティバルに出演したちほ。
この左の男性が、あたしたちの夢を叶えてくれるキーパーソンにゆくゆくなっていくバンジョー奏者の青木 研。

2007
わたしがARTISTIC PANTIEを立ち上げた年です。この頃からまた熊田千穂と一緒に、
素敵だと思うARTをこぢんまりやりはじめました。
絵描きのaccoと一緒にやった最初のCDが、昭和のレトロな、それこそ吉田日出子さんがお歌いになっている楽曲を収録したCD”Sing Me A Song”でした。
02 071217_201901
CDがタワレコの試聴機に入ったりしたんです!
このお披露目ライブの様子はこちら↓
http://hintmint.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/sing_me_a_song__a00e.html

2008
そしてあたしと千穂はとうとう”花よりタンゴ”を再演することを決めたんです。
彼女がこの数年で得たジャズメンの仲間たちと一緒に。

音楽プロデューサーはなにをかくそうバンジョー奏者青木研!
池野成秋さんという昭和屈指のジャズピアノの巨匠が見にきてくれました。
嬉しかったアンケートはこれ。
六本木の小さな劇場で昔見た上海バンスキングの次にいいんじゃない(中略)

その2年後、シアターコクーンで、まどかさんやシローに会えるなんて思ってもみなかったんです。
Bymoca
くわしくは→http://mocatina.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-f5b0.html
カーテンコールで♪リンゴの木の下で を歌いました。
この写真は串田さんに送ったもの。CDが出るとき、チラシができたとき、
串田さんに送りましたが届いていたかはわからなかったの。
(でも全部ちゃんと見てくれてたんだよ~)

2009
びっくりしたことに、舞台の小屋入り前日にわたしは賞を受賞し、作家になりました。
そしてわたしは次回舞台を、上海バンスキングのような、永遠の作品を作るには、
戯曲をお借りしていてはダメだと。自分で書かなくてはと、決心しました。

なんとそのあとすぐに、ある出版社から、
上海バンスキングみたいな楽屋の香りのするお話を書き下ろしで書いて欲しい
と依頼がきたのです。わたしのブログで↑の写真をみたんだって。
なんとも嬉しい話。

一方ちほは、ピアニストの池野さんと一緒にライブをすることが増えました。
そのライヴを観にきた瀬川さんがちほに言ったの。
「どうしてウェルカム上海をあなた歌わないの?」って。
あたしは、上海バンスキングに大きく関ったジャズ評論家の瀬川さんが、ちほの歌を聴いただけでも!!!なのに、その言葉を聞いて、倒れそうになったのよ。

でも、瀬川さんがちほの歌を聴きにきてくれたのも、花タンのDVDを見てくれたからなんだ。
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熊田千穂が歌う”踊らん哉”の動画はコチラ↓
http://www.youtube.com/watch?v=fnCwjeL7N9M

そしてわたしと千穂の中で、
「上海バンスキングの幕は多分もう上がらないかもしれないけど、あたしたちの中では生きているよね」
みたいなことで、まどかさんやシローやバクマツの背中に少しでも近づけるように日々を重ねてきてたわけで、そんな年末、

「上海バンスキングが再演する!!!!!!」

こんな大ニュースを、震える声で深夜にわたしに教えてくれたのはやはりちほで、

かといって、いい席を確保するツールやコネクションもなく、必死に、ネットを駆使し、
オークションなんかで少々財布がきつくなりながらチケットだけは確保したあたしたちが、
ゲネプロにはじまり、観劇3回目にして、楽屋に二度も行くことができたのは、

きっとこの13年を、どこかで芝居の神様が見ててくれたんだろうと思う。

これがあたしたちの、長い長い前夜祭。

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