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2009年8月16日 (日)

劇団 本谷有希子

Pic_rairai_omote_2Pic_rairai_ura行って来ました。初!

劇団「本谷有希子」です。
実はわたしは、8年くらい前かtらこの劇団を知っているのですね。
世代が同じですから、あっちこっちで、”友達の**ちゃんが本谷有希子って劇団に出てて…とかっていう話ありました。今みたいに騒がれて、有名人がばんばん出ちゃうより前の頃です。ほんとに劇団ができたばかりのころ。
わたしは直接お会いしたことはありません。
で、あたしが本谷有希子の世界観苦手で嫌いって思ってる人多いよね。
親友にも「あんたあれ嫌いだと思うよ」と言われ、なかなか勇気が出なかったのですが、
観に行きたい気持ちもすごくあって。
ひょんなことから、「本谷有希子が好きです!」という女の子で、しかもあたしの本も愛読してくれているという、ものすごい珍しい人種(笑 の菜菜子ちゃんの余ったチケットを譲って頂き、これまた初!本多劇場に向ったわけです。
10年以上芝居やってて、相当数の劇場行ってて、本多に行ってないってモグリでしょ?(笑
小劇場って本多に進出したあたりが一番面白いとは思うんだけどね、そこ飛ばしてしまうのよ。小劇場→駅前劇場←→TOPS→本多劇場→パルコ→コクーンって感じじゃない劇団の進出って。おおまかに。その、なぜか本多を飛ばしてここまできたのだ。ようするに、毛皮族も本谷有希子も小さな劇場の折込みて、「これは売れるな」と思いつつ、状況見てると、その折込に記載されている劇場が↑のように拡大してって、トラムとかコクーンになっちゃう。劇場のチョイスはさまざまで、パルコやってからTOPSになるケースもあるし、そのあたりで観に行くんだけどなぜか本多には縁がなかったのね。
こないだナイロンをようやく観に行こうとしたのにトラブルで行けず…
今回初 本多劇場となりました。
まずセットを見て、純粋に今どきだなあって思いました。
半分抽象的、半分具象的っていうのかな? 昔は、がっつりセット組んでワンシチュエーション、もしくはミュージカルとかにありがちな回転舞台、とかが多かったけど、適度に具体的な装置をいくつか作って転換してくというスタイル、これってすごい「今どき」にわたしには感じたのです。いい装置でした。
芝居はどうだったかというと、本当に新しい時代を切り開いた鬼才だと思いました。
今までこういった舞台、見たことありましたか?」という意味で。
別役 実とかみたいな静かなシュールはありましたけど、ここまで赤裸々なシュールはありましたか?という感じかな。
大人計画とかナイロンなんていうのは、実はもう十年以上も前からアングラでは超有名だったわけです。だから新しい世代ではないのね。
そういう意味では、本谷有希子毛皮族というのは、「女たちのあからさまエログロ事情」というの全面に押し出し、リアルを追求するという、新しい世代の2トップであると思います。
女芸人でいうと柳原可奈子とか、そうだよね。
なにせ本谷有希子の戯曲としての会話の描き出し方は本当に秀逸です。天才ではなく鬼才。再三、芥川賞の候補になって、獲れてないですけど、いつも選評に「小説でなくてもよい」と、才能を認めた上のダメだしがされてますが、彼女は根っからの演劇人なんですね。舞台みてそう思いました。
リアルな会話というものをとても大切にしてるから、文芸のラインにはいまひとつ足りないのだろうけど、それでいいのだと思います。ある意味土俵が違うのに候補にあがるだけでも素晴らしい 彼女の作品はやはり元が戯曲ですから、書いたセリフを生身の人間が実際に舞台の上で吐くことで、立ち上がってくる部分もあるし。だから文芸の賞はともかく、戯曲としてはもっともっと評価されていくべきだと思う。
そんな感じで前半の会話や事件がたたみかけるように起こる展開のよさとか、ため息がでるくらい素晴らしかったです。かなり笑えたし。
三輪明宏さんが「生まれ変わったら女になりたいですか」と訊かれ、
絶対いやよ!女なんてね、ずぶとくて、腹黒くて、叩いてもつぶれないごうつくなのよ、絶対いや」みたいなこと言ってましたが、そんな女が7人舞台の上にいます(笑
ただ…
あたしはやっぱり彼女の世界観は心からは好きになれないや。
すんごい面白いんだけどね。
多分、愛とか、人とか、生きてくってことに対するカタルシスというか、価値観というか、声を全開に歌っていきたいこと、とかが真逆なんだと思う。もしくはオモテに出す部分が。
だから話の結末が近づいて、彼女が「こういうの痛い」ってクローズアップしてるところが、「なんでなんで?人間てそれくらいぶざまでなんでいけないの?」って思うし、
シリアスな感じに、ぶざまさを愛で包んでいるようなシーンは、「それって傷の舐めあいじゃね?」って痛々しく思ったりした。なので結末には全く納得できなかった。
それでも彼女の才能に惚れた一日でありました
だって、出演してないし、芝居って、スタッフやたくさんの舞台芸術家を介して、混ざりあいながら観客まで届く芸術でしょ。それなのにこんなに色濃く、本谷有希子を感じるっていうのは、それだけ彼女のエネルギーや、こだわりや、想いが強いってことでしょ。
それはすごいことだよ。
あたしは一本舞台作るのに丸一年ないし二年とかかかるのに、それを半年に一回とかやるわけだからね。すごいパワー。
いやはや演劇人てすごいですな。
パンフレットの中に、印象深い言葉がありました。演出するときに人の意見をどれくらい聞きますか?という問いに、
「過去、聞き入れすぎて作った公演は全部自分が納得いかないものになってる。
純度が下がってくからダメ。
見やすいとか解りやすいものになってるかもしれないけれど、その代わりに失うものも大きい。その失った、いびつだったとこが魅力だったかもしれないのに。
だから人の意見をどれだけ聞かないでいられるかかもしれない」
と彼女が答えていたんですが、これはものすごく共感しました。
見やすく、解りやすく、洗練して、受け入れやすくするということはコアなファンを失くしたり、自分のARTでなくなってしまう危険性を絶えずはらむんだよね。
書いててもそうですけど、編集者から削れと言われたくだりが、草稿を読んだコアな友人が口をそろえて印象に残ってるところだと挙げたとこだったりする。
ようするに体臭(よくいうとフェロモン)みたいなもので、表裏なんだよなあ。
で、結局誰を、何を大事にしたいかになってくる。
敏腕の編集者と仕事をすればするほど、あたしの拙さは削られて読みやすくなり、洗練されるのですが、果たしてそこにどれくらい「あたし」がいるのかというと難しい。
それが本谷さんの言う失われていく純度なんですね。もちろんこれは最低限、ひとりよがりではないものを作るという前提で。
で、自分の作品から自分が奪われていくことで、失うのは「表現したい」という気持ちだったりする。昨年、花タンを作ったときも、あたしがあたしのことを大好きなクルーで固めて、
自分の名前を劇団名につけてってやってるのはそういうことだったりもするんだよね。
責任は全部あたしが負うから、純度100でやらせて、っていう。
それは聞く耳を持たないっていうのとは違うんだよなあ。
まあそんなことを思いました。
写真は菜菜子ちゃんと下北のBARで。本多劇場の前で撮るの忘れた!
左は新しいワンピース買ったので。
帰宅してデザイナーの妹に
まさかその格好でおでかけなさったのですか?」
と言われましたけど。
夏ですから
と答えておきました(笑)
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