敗北、あるいは解放。
「敗北」という言葉が頭に浮かぶ日なんて、一生に何回もない。
「すごいショック」とか、「最悪!」とか、「凹むー」とか「くらったなあ…」
とかは時々あるにしろ、こんな堅苦しい二文字が、脳裏に、刻まれる日はめったにない。
でもそれは、唐突に、青く高く、瑞々しい空からだって降ってくる。
ありがたく仕事があることや、すてきなともだちや仲間がいてくれることや、
家族がいてくれることやなんかと関係なく、
突然目の前にあらわれて、そこにつまづく。そして顔面からコケル。
それは、今までで一番しっくりとぴったりと重なれたと思った、
一秒後に間髪いれずやってきたりもする。
「敗北」はひとを半透明にする。
わたしは昨日、半日半透明であった。
敗北をかみしめたことが、ある種の解放と同じとも呼べることに気が付いて、
空を感じて、足を地に張れるまでは。
もう、親友や大切なひとに黙って、「何か」、ちっぽけだけど、わたしが心から欲している「何か」を待たなくていいし、裏切られて、それを許す自分と直面しなくてもいい。
大切なひとたちに、どんどん嫌われていくひとを、心の中でかばい続けて、疲れなくてもいい。
わたしはぐっさりと、思い切りひとを傷めたのだから。
うらまれて、刺されてもいいと思えるほどの純度で。
すべては明るみに出てしまったのだから。たくさんの人を巻き込んで。
敗北、あるいは解放、を、自分の手で起こしたのに、
今だってこんなにも胸が痛い。
時間をかけてたいせつに積み上げてきたものは、
昨日、砂になってしまった。
いや、
もともとそれが砂であったことを知った。
その砂が、わたしの器官や、肺に入って、胸が痛い。
さんざん宴をして、次の日にその屋敷に行ったら、そこが、萎びた枯れ木の、
朽ちた小屋であった、おとぎ話のように、
目の前にあるのは砂で、朽ちた小屋だった。
まるでずっと、狐に化かされていたみたいに。
それを前にしてわたしは佇む。
それでも、わたしは、あの屋敷でおきたたくさんのこと、食べたこと、笑ったこと、
泣いたこと、ほんの少し、幸せだったこと、を、信じられるだろうか。
朽ちた小屋の前で、立っていると、少し風が吹いて、
宴の香りがほんの一瞬だけ、ふうわりと、した。
ここには何もない。
残ったのは香りだけ。
お粉とお香と、きぬ擦れの香り。
次に風が吹いたら、空に溶けていってしまう。
Nothing leave here , only me still leave here.
秋冬と助走をつけて
春がほんとのはじまりで、夏秋冬。
春、夏秋冬、春夏秋冬、春夏秋冬、
そして、春。
きゅるきゅると時間を巻きもどして、あの頃に戻れたら。
わたしたちはお互いの間違いをきちんと正しあって、
こんなかたちでなく、一緒に居ることができただろうか。
答えが「いいえ」であることを知っていても。
そんな風に問いかけて、
いまは地団駄を。
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コメント
よくわかります。
そろそろ元気だして。
投稿: | 2009年4月22日 (水) 07時42分
↑ありがとうございます。なまえないけど。わざとね。
心配かけたひとたちの誰かですね。
たくさんのことを学びました。すこしは元気になりました。
投稿: もかこ | 2009年4月22日 (水) 13時17分