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2009年2月

2009年2月16日 (月)

雲の跡を抱いて

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長々と更新できずに気が付けば二月も半ばに入ろうとしています。

実は1月に後輩が亡くなりました。
正確には、亡くなっていました。
亡くなったのは九月だったそうで、わたしたち仲間はそのことを知りませんでした。

ちょっと時間が欲しく、更新などできませんでした。

『**さん(←あたしの本名)の小説が本になる夢を見ました。
バウムクーヘンの表紙でした☆』

これは8月13日に来たメールです。
それが最後のメールでした。
蝶番が最終候補に残った一週間後のことです。

それから連絡がとれなくなりましたが、彼女は彼女のペースを持っている子でしたので、
だいたい連絡が取れないときは、自分で自分に向かい合っているとき。
そしてちょっと落ち込んでいるとき。

そっとしておくのが一番と、連絡を待っていました。

くしくも連絡をとれたのは、わたしの本が出版されたことをお母様が遺品のメールで知り、
わたしを探して、連絡を下さったからでした。

あなたに直接知らせたかったのよ、わたし。
バームクーヘンの夢をわたしに届けて、いってしまうなんて。

長編処女作で幸運にデビューしたわたしですが、ほんとうは文字をつづりはじめたのは6年も前のことです。雑誌で気に入った切抜きの写真に文字をつけたり、友達の写真に言葉を添えたり。最初はそれをバイト先のディスコのロッカーに貼ってました。それを写メールに撮って待ちうけにしてくれた後輩がいたので、その後自分で写真を始めて、POSTCARDを作ったりしていました。それを後輩たちに、いつもわたしは配っていました。上の写真もその頃のものです。

何もかも形にならないころ、その小さな形をいつも大切に手に取ってくれた、かけがえのない後輩の一人です。
「ほらね**さん、とうとうやったのよ!ただの変人じゃなかったよ!!」
と、自分のことのように、今回の受賞を喜んでくれるはずの子でした。

彼女はちょっと淋しんぼで、認めてほしがりっこでへそ曲がり、(わたしもそんな小生意気な後輩時代があり、要領悪くっていつも怒られちゃう。二人はよく似ていました)で、ちょっと先輩になったわたしに、よく叱られていました。
女の子なのに野心があって、男社会の中で頑張って、でも、やっぱり女の子でした。
愛をもってたくさん叱った後輩っていうのは、何なんでしょう?

笑いあった思い出よりも、叱った思い出のほうが、叱られてむくれたり、泣きべそをかいている彼女の顔の方が、とってもキラキラと、光を帯びて思い出されます。

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これは店のクリスマスのときです。表現する場所に飢えていたわたしは、
こうやって、どんなところで、どんなことでもいいから表現をしたくて、

店の内装など好き勝手やらせてもらっていました。
それにつきあってくれたのも彼女でした。
日曜日に真っ暗なフロアの電気を点けて。
昼過ぎから終電まで、二人一心に作業をしたね。

店の予算がある中、彼女のARTスペースに、
「どうしてもこのオーナメントの靴下がないとやだ」
とゴネて、「実費で買う」というので、わたしが買ってあげたね。
子供と母親の買い物みたいと思いながら、
ちょっとは先輩になってきた自分を嬉しく思ったのです。
「チーフチーフ!」と呼んで慕ってくれるあなたやみんながいたことで、
わたしもあの場所で、ようやく一人前風を吹かせられたんだわ、きっと。

そんなに長時間のタイムカードを押させてくれた店にも感謝ですが。

この年の年賀状はこの写真のをくれたね。
それがないのよ、どこを探しても。
どこに行ったんだろう。あの年賀状。

この日のことはずっと忘れない思い出でしたが、
このたび、もう一度刻まれ、それは永遠になりました。

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長時間大作の階段ARTでしたが、店の営業中は明かりが暗く、まるで見えなかったので、
「ここはお前らのお絵かき帳だな」と総支配人に叱られ、二人してむくれましたね(笑)

彼女のお母様に万年筆を頂きました。

大切にしようと思います。

「間断の音なき空に星花火」

これは夏目雅子さんの詩だそうで。いろいろはしょりますが、
この間彼女のご実家に従業員みんなでお邪魔して、なんの流れかこの詩をみんなで眺めました。

わたしは、あなたが描いた雲の跡を抱いて。

それがいつかゆるりと空に溶けても、

わたしの心からなくなりはしないよ。

2008.9.26.後輩、雲の上に引越し。道は遥か。

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