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2008年4月28日 (月)

ケラリーノサンドロビッチの「どん底」

観に行ってきました。ゴーリキー作の「どん底」
AT シアターコクーン
(あ。この日記長いから!!!)
Photo

演出はケラことケラリーノサンドロビッチ。
あたしはコクーンで前にやった「カメレオンリップ」でケラにメロメロだったので、しかも作品が「どん底」とあれば何がなんでも!と裏ルートでチケットを入手!さっこにじゃんけん負けて、さっこJ席、あたしP席(でも一階!)

千秋楽だったんで暴露しちゃうけど、まず始まり方が映画みたいなの。
油絵のアニメなの。あのコクーンの全部にガツン!よ。ここ劇場よ!芝居小屋よ、なのに映画よ映画。ケンカ売ってるでしょ。でもその油絵がいいのよ、ロシアっぽいの。
だから幕がおりててセット見えなかったのよ。
んで映像で斬新にしといて幕あいたらセットがドッカリよ。

んでここはゴーリキーにというか基本の「どん底」のセットにめちゃくちゃ忠実。屋根の上に恐ろしく鮮やかな緑の庭があることを除いてね。

実はね、この作品、あたしが演劇というものに出会った最初の作品なの。だから特別な作品なんだ。小さいころから芝居が好きで地方周りの芝居とか地元の芝居とか、色々観て来たけど(ビニールで海とかつくってるようなやつ 笑)、生まれて初めていわゆる世の中の演劇ってもんの第一線と呼ばれる舞台をママに連れてってもらって京都だか大津だかの劇場でみたのが、文学座の「どん底」だった。
当時中学一年生だった。

話はなにやら難しくてわかんなかったけど、これが本当の芝居ってもんなんだってことはビンビン感じた。そしてそんとき本当の意味で役者ってもんを志した。今までなんとなくいいなあと思ってた気持ちが、あああたしやっぱりこういうことしたいんだ。自分の知らない人の人生をのぞいてみたい、生きてみたいと思った日。わたしは役者になりたいんだっ。ってか、なるっ!て誓った日。あたしにとっての「女優」ってものの名詞の示すところが、ブラウン管やCMに出てくる綺麗な女性のことでなくて、ああいった風に板の上で暴れるすごい女ってものであるのは、どん底に出てくる女達からきてるんやと思う。

だからあたしには特別な公演だったわけ。

どん底ってのはロシア演劇です。ロシアの貧しい下層の暮らしを描く。だから暗くて、長い。退屈なイメージがあるよね。チェーホフとかさ。

ところがケラさんは素晴らしい舞台美術と、その転換、あと楽隊の投入によってその暗いロシア文学をお客さんに「楽しませた」の!
パンドラの鐘以来でしたよ。シアターコクーンでみんな総立ちのカーテンコールはチャペルチャペルチャペル普通立ちたい人だけ立ってさ、だいたいの日本人は座って拍手するもんです。でもどどどっってみんな立ってさ。鳴り止まないの、拍手が!んでアコーディオンとサックスと大太鼓と、役者と。入り乱れてロシアの歌を歌うの。最高でした。

雪ひとつ、こんだけこんだけ降らせて、降りしきらせて、さらにこんだけ吹雪けば、客を圧することができるのだと解りました。
楽隊の入れ方が絶妙でした。アコーディオンがね、これがロシアのお話であることを忘れさせないでいてくれるの。
ちょっと自由劇場のやりかたと似てたね。

江口洋介がかっこよすぎました。芸能人ってのは、「華あり人」のことですね。登場するだけでひきつけてしまう。それって無条件な引力なんだよなあ。見てしまうもんね。あたしそんなファンじゃないのに。それでいてみんなが主役だった。

途中の場転がたまげたね。ごちゃごちゃの宿場のセットが休憩終わったらなくなってて、どうも屋根にあった庭の緑が床というかセットになってて、え?これでラストまでもつの?外じゃん、と思ってたら雪が降りしきって(ただもんじゃないくらいふりしきった)楽隊が演奏してる間に、なんとその床(緑)がぐぐぐっぐってどんどんリフトみたいに持ち上がって、さっきの屋根になるんだもん。んでその後ろにあっというまに1場のセットがもう一度組まれてしまうの。
たまげたねげっそり
ばらせるセットに見えないんだよ。小道具だらけでさ。
2日くらいかけて立て込んだかのようなセットが一曲の間に出現するんだもん。たまげるよ。

役者の芝居は、スバラシすぎてかけません。


どん底をみたのは17年前だったし子供だったからほとんど覚えてなかったけど、ひとつだけおぼろげながら覚えているシーンがあった。娼婦がかけこんできて何かひとこというシーン。
今日女がかけこんできたとき「あ。ここだ」と思った。
続けて女が言った。
「あそこの池で、役者が首をつったよ」

あああっ。あたしが覚えてるのここだっそうだそんなセリフだったと思った次の瞬間暗転になった。

え?え?と思って、

次に明かりが点いたときは、カーテンコールだった。

あたしが覚えていた光景は芝居が終わる瞬間だったのだ。

その瞬間にわっと思い出した。
あのときに自分が座っていた位置も。そこから見えた女優さんの顔も。
劇場の感じも。


おお。

なんだかぞくっとするデジャブ。



17年前、真っ白のとき、どん底を見て、役者になりたい私の人生がはじまって。
そこから捨て切れなかった「役者にしがみつく私」を一度捨てて一度白くなれた年に、またどん底を観るという。

奇妙なめぐり合わせ。

どん底を観るときはいつも白だ。

そして今日雪が緑の庭に降りしきってたりなんかしてて。

そして秋に原作ものを演出したりなんかして。

そしてそれにも楽隊がいたりなんかして。


もう一度どん底を観るときはやはり白なのだろうか。
そしてそのときあたしは何を捨てて白になってるんだろう?


もし今度あのセリフをあたしが言ってたらすごいよね。


そんなことになったらデジャブリすぎて、多分失神する。

伝わるかな。このかんじ。
あたし、板に立ちたいっていってるんでなくて、
それほどまでに人生はファニー。ってことを言ってる。
最初に見たときは次に観るときの自分が役者の自分に一旦区切りつけてるなんて、思いもしなかったわけで。次はあの役はあたしがやってるくらいに本気で思ってたわけで。
ところが今のあたしは次のあたしが、ああいった板の上で芝居やってる感じをまったく想像できてなくって。
でもだからこそ、言ってるかもよね。今度。

人生は皮肉。
予想もつかない。
だから最近、なんでも受け止めて歩いてくようにしてんの。

だからこそもしあの役があたしに回ってくるようなことがあったら。

デジャブりすぎて、失神するわ。

そして大笑いよ。

わかる?このあたしの奇妙な気持ち。



PS写真はちょっとイモっぽいけど、めちゃめちゃセンスいいセットでした。http://www.bunkamura.co.jp/cocoon/lineup/shosai_08_donzoko.html

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