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2007年12月26日 (水)

たまには無防備に愛を書いても

どんちゃん騒ぎも幕を降ろして、一眠りして目が冴えてしまったこんなイブの夜更けには、たまには無防備に愛を書いてもいいではないか。

小説じみた日記でも。

さっき目覚めたとき、サンタさんは来てなかった。

そのことさえも忘れていた。

子どもの頃は本当に毎年サンタさんクリスマスが来ていた。12歳になっても。
17歳になっても。
あたしは両親が贈り物を置く瞬間を見たことがない。
17になったあたしは思った。
「これは相当のテクニシャンか、
もしくはほんとにサンタさんがいるか」

28の今もほんとにいると思っている。
ママが「サンタさん、東京は遠いんやってー」
と帰省時にサンタさんからの預かり物プレゼントをあたしに渡してくれる限り。
ママに預けるようになってから、サンタは来ない年もけっこうある(笑)


昨日のイブはおすしやさんの「ふくだ湯のみ」ですごした。

食べ物やさんで、イブを過ごす人たちの顔を見るのは好きだ。
時に和食やさんとっくり(おちょこ付き)のイブはいい。
お客さんも変な気合いがないし。ゆるやかに時間が過ぎていく。
昨日渋谷のBarにあたしの大好きな姐さんがふらっといらしたので、
距離が縮まったようで嬉しくて飲みすぎたのであたしはかなり二日酔いでしたが、
昨日はお客さんの入りはぼちぼちいい感じ手(パー)で、
わたしは親方にお土産をお願いしたが、わたしの支払った代金が
「ほんの気持ち程度」になってしまうくらい、握り、棒寿司、煮付けなんぞ、板前さんみんなで作ってくださって、
その誰もが「面倒くせえ」とか思わずに、ほんとに気持ちで包んでくださったのがわかったので、ほんとにあったかい気持ちで家路についた。

クリスマスチャペルはなぜか家族と過ごすものと思っている。


それはあたしが4人姉妹だからだと思う。
ありきたりな姉妹が思春期にさしかかり、クリスマスなんぞむふっ、と思い出す頃、年の離れた妹たちは、まだ、はいはいなんぞしていた。

そのため、家では、小さな妹たちを喜ばせるため、あたしが家にあるサテンの生地で姉妹全員分の衣装王冠をつくり、
そろそろ「そういうのはちょっと…」と思うすぐ下のアメリさんですら
強制的に衣装を着せられ、クリスマスソングを合唱したりしていた。

そういうのが「寒く」なかったのは、小さな妹たちのくったくない笑顔がそこにあったからだと思う。

東京に出てきて10年、小さな妹たちは大人になった。
パパにいわせると、わたしはパパが仕事しか見てないうちに、勝手に大人になってしまったらしいが、そのパパのせつなさ涙はちょっとわかる。あたしから言わせると妹たちがそうだ。

帰省するといつもひざに乗せていたのに、
いつのまにか、ひざには乗らなくなった。



上京してきたその日、誕生日が一日違いの一番下のもえと一緒に誕生日をした。何年か後にママが「なんとなく寂しい春でした桜」と手紙をよこしてきたその誕生日にあたしは18になった。もえはたった8さいだった。

妹たちが東京に来るときは、ふたりきり双子座にはできないので、
バイトにいく間、ちほに家にきてもらって、子守をしてもらった。
新幹線で泣きながら手を振り小さくなっていく二人の子どものつむじを
こんなにも思いだせるのに、

今では妹の彼氏が「お姐さんありがとうござんした」と荷物をもって、
品川駅までタクシーに乗って帰る。

今年のクリスマスはLUSHのバスボムを、大人な妹たちに贈った。
チビたちとちょっとした諍いをした後で、あたしは大人げないことに、とても凹んでいましたので、極力最小限のメッセージしか書かなかった。チビたちが大人な切り口で向かってくることに、慣れないあたしはこの数日しじみと化した。小さな殻を閉めて、十番というみそ汁の底に沈んでいた。

クリスマスは家族と過ごす日だ。家族か、もしくは家族と思われる人と。ナオミやちほや、家族といっていい人たちとばかり過ごしてきたあたしは、クリスマスに男と居たいと、実はあまり思ってない。
今年はすっかり、うちの2.5番目の妹になったtaeが部屋着でうろうろして、「ふくだスペシャル」を食べ、シャンパンを飲んで、ビデオを見て、なんてことなく過ぎていった。


20の頃、サンタの来なくなった枕元がとても淋しかった。
今ではすっかり慣れた、25日の枕元で、ふと
「愛晴れとはなんぞや」
と考えた。

そして、この東京にもすいぶん愛はあるもんだと、感謝した。

家族にも。

ディスコで働いてて一番つらかった頃、
帰省して温かさに触れるのが無性に嫌だった。おばあちゃんが持ってくる鍋とかが嫌で、ママが「いつ東京戻るの」と聞くのが嫌で、文句を言って、とんがって、
「こんなノリじゃ東京でやってけんから」
「あんたら甘いねん」
みたいな風にすれていた。
自分が「おじょうさん」と思われてバカにされるのがたまらなく嫌で、
その頃は悪い遊びげっそりなんぞにも平気で足を突っ込んでいた。
とことん染まってやりたかった。


そんなディスコに平気でかぼちゃの煮つけなんぞ、もってって、
上京してきたばっかの後輩にあげたり、
そういうことが、普通に出来るようになって、
一応チーフなのに「もかあさん(もか+おかあさん)」
などと呼ばれるようになってから、


あたしはどんな殺伐とした場所にも愛を見出せるようになった。


そして自分の家柄を恥じなくなった。

むしろ恥じてた自分を恥じている。


わたしは中流家庭の長女として、
パパにもママにも、産まれてくるのを楽しみにされて産まれた。
大事に大事に育てられ、かなり箱入りで、18になるまでアルバイトすらしたことがなかった。

そんな家庭に、今は感謝している。
妹には早めに社会を知ってほしいと思っているが。

だから、

たまには無防備に愛を書いてもいいではないか。

こんな朝方曇りで。

素直になれるのなら。



親方の包んでくれたお土産には
あたしの好きなトロタクがちゃんと入っていた。

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