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2007年8月

2007年8月27日 (月)

「三番目の女」

長いので暇なひと読んでください。

私には気になっていた舞台芸術家がふたりいた。
毛皮族の江本純子と、劇団「本谷有希子」の本谷有希子、
である。

ふたりともあたしとおない年(学年)で、1997年に芝居の為上京。
2000年(つまり21のとき)に劇団を旗揚げして、最初の公演をした。


1979年生まれ。
女性演劇人、豊作の年である。



本谷有希子のことは知らなかった。というか忘れていた。
こないだちほに「本谷有希子」を見に行こうと思う、というと
「ぷぷぷ。あなた嫌いよ、たぶん」
と笑われた。ちほの文学座の同期の少女が、本谷有希子の看板女優で、その後お亡くなりになった話をもう数年前に聞いていたことをついさいきんまで忘れていた。


江本純子のことはだいぶ前からしっていた。
もう数年前に見に行った小劇場の折込みを見て、これはくるなあと思っていた。果たしてあたしの直感通り、毛皮族は、ものすごいスピードで大きくなり、アングラだった「江本純子」「町田マリー」の名を、メジャーな映画のはじに見つけることができるようになった。


本谷有希子が一躍有名になったのは
映画化された「腑抜けども 悲しみの愛を見せろ」
ではないかと思う。タイトルを見て惹かれて見に行った。面白かったが、わたしの嫌いな痛さはあった。


なぜこのふたりが気になるか。
1979年うまれで18さいで上京し、21歳のとき劇団を立ち上げた女がもうひとりいる。
三番目の女。

あたし、だ。

あの一番多感な時期に、同じように小劇場をかけずりまわり、
自分で舞台をつくろうと同じ発想をしたことにあたしは強い親近感をもった。
なぜそうなったかも手に取るようにわかる。
自分がうまくはまっていける演劇をさがし続けて、そこには何もないことを二十歳で知ったからだ。
あたしたちのような女が創れるもの。
それは自分の中にしかない。
彼女たちもそれを時を同じくして感じたのだと思う。




2002年の舞台以降、わたしは少々道に迷ったが、
二人は着実に、その名前を世に知らしめてきた。
そんなふたりをわたしはとても気にかけていた。
変な負けん気みたいなのもあったかもしれない。
世の中の同い年の女優さんの活躍に嫉妬することはまったくなかったのに、毛皮族がより大きな劇場に進出のは、
ちょっと、いやだいぶ悔しかった。

江本純子に関しては「化け物」だと思っていた。
「なぜ女なのにこんなことができるのか」
そこがどうしても解せなくて、気になっていたのかもしれない。あまりに性的な芝居を、あっけらかんとこなす化け物だった。だが5月にシアターアプルにいってそのなぞは解けた。



そして、江本純子を昔より好きになった。


本谷有希子のことは好きになれない。
「腑抜け」は面白かった。
しかし、友人が「痛すぎて読めないの」
と貸してくれた、彼女の文学全集たるものをよんで、あたしは吐くかと思った。
ただ、途中でやめることができない、ブレーキの利かない特急棺桶であることは確かだった。

「虫が嫌いどころか怖い」というコミュに入ってたことがあった。気持ち悪くで怖いものを、ちょい覗きしたい好奇心。

蛇とカエルをSHOWCASEにいれてそれをガラスのような目でじっと見てる女。本谷有希子はそういう女ではないかと思った。


気の狂った女が、40さいを過ぎても童貞のはげ男の、唯一の友達である猫を電子レンジでチンしてそのあとで童貞男とセックスするような話。


こういう話を書く女の人は苦手。

でも途中ではやめれなかった
苦手なのは、わたし自身が、この手のタイプのアーティストに、逆に「勘弁して」と思われるような、感情垂れ流し系の人間だからなのかもしれない。



こないだちほがあたしにくれた花椿(資生堂からでる紙雑誌)
に本谷有希子の文が掲載されている。
引越しの話で、彼女は役者としては2年で挫折、その年に引越し。
『1999年、何もない茗荷谷からわたしは飛び出した。何もないのは茗荷谷ではなくて、自分だったことに気づくのはもうすこしあとのことだった』

その文章には共感した。


1979年生まれ
女性演劇人豊作の年。
といわせるために。

まだ誰も知らない三番目の女がいることをここに。


2007年、
ずいぶんと遅れをとったが、
三番目の女の逆襲がはじまる。





※正確にはふたりは馬年(1978年)です。

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2007年8月23日 (木)

パソコンと時効警察の話とか

まだ届いていないのですが、パソコンパソコンを発注いたしました。

みんなのアドバイスを読み、いかにあたしがアナログな奴か判ってきました。本当に参考になりました。いかに身近なユーザーの意見が重要かわかりました。ありがとう!!
様々な視点から検討した結果、
自分にあったものを考えて

SONYのVAIOのオーナーメイドで、OSはXPのものを買いました。
WINDOWSです。ハイ足


よく考えたら私はロータスというソフト(ずいぶん昔の)で初期の台本や小説を書いていて、それをマイクロソフトに変換した奴は、PCとともに壊れたわけです。MacはもちろんVistaだとそれが起こせないかもと思いXPにしました。

今後は「テキスト形式」で保存しようと思います。
金曜に到着します。
いちおうCPUは「Core 2 Duo」でグラフィックスは性能のいい方を積んで、ハードは120Gにしました。
みなさんほんとにありがとう。


ところできのう焼けたところがかなりの『低温やけど』で痛いです泣き顔


焼けた腕をいたわりながら時効警察を見ています。
放送前からすごく楽しみにしてたのに、その時期忙しくてみれず、いまさら見てます。

岩松了がでてて、(彼は有名な舞台の演出家です)
めちゃ珍しいじゃん!!なんで?!などと思っていましたら、
脚本&監督を、岩松了や園子温監督や、ケラリーノ・サンドロビッチが交互に手がけてるのね。

なるほど。

あのマニアックなキャスティングの理由もわかります。
マニアックなノリ&ストーリー展開も納得です。
役者万歳な、テレビ番組ですね。

こういうのPU-PU-JUICEの奴らも見ればいいのに。
面白かったり、素敵な作品をぜんぜん見ないことにあたしはちょいと不満なんです。PU-PU-JUICEとはあたしが所属してる役者集団なんですが。才能あるやつは多いんですが、血の気の多い男が多く「FUck!Japan!」みたいな反骨精神が強すぎて、広がりに欠ける気がする。
舞台嫌いでも、舞台創ってるんだからさあ。
野田とか蜷川とか、観ようよ。一回でも。
チェーホフとか、シェイクスピアとか、知ろうよ。
岩松了とか、串田さんとか、永井愛とか、清水邦夫とか、ケラとか。
色んなものを観たら、今、自分たちが「演技」だとおもってるテリトリーが、スタニスラフスキーって人が発案してリ・ストラズバーグって人が広めた、たったOne Ofのシステムだってことに気づくと思うんだ。
世界は広いんだぜ。
あたしもまだ鈴木清順の世界とか知らないし。
100を知ってから1を詰めるならあたしは賛成だけどね。


話は戻りますが。


あたしは麻生久美子さんが大好きなのです。
ちなみに麻生祐未さんも大好きです。
それで一時期苗字を「麻生」にしたいと思ってました(←安易)

わたしが好きな豊原功輔さんも出てます。(好きな割りに名前すぐ忘れちゃうけど 汗)
ああいうふざけた役はぴったりやね。


今日はベリーニさんに「ふくだ」に連れて行っていただきます。
「ふくだ」とは白金高輪に新しくできたお鮨やさんです。
妹が今日お運びしてます走る人

楽しみだぁうまい!

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2007年8月 8日 (水)

SURF

やっと波乗りしてきました。

ラッシュ一枚で海入れる時期になってやっと海開きってどうなのよ‥ペンギン去年この時期までになんだかんだで10回くらいは海入ってた気がする。
板を置いてるSURFSHOPもプチ改装とかしちゃってさっ。
でもあたしの好きなくつろぎのミニCAFEがかなり極小になってたげっそり来年にはテラスができるんだって。
でもSHOPの人、意外にあたしのこと覚えてくれてたよ。

昨日「ごくせん」をずっとみててあんま寝れなかったので朝がきつかったですが、そこは「約束」というものが、怠け者のあたしを起こしてくれたわけよ。
というわけで快晴の中ひさびさにさおりさんと鵠沼集合し、海開き。

というか久しぶりすぎて最初10分、海が怖かった波

でも、波があたしたちにはちょうどよくて、しかも間髪いれずに次々来てて、セットらしいセットとかは来なかったけど、
ぜんぜん遊べた!

そして、あたしはほんとになんでも飲み込みが悪いんだけど、
波乗り5年目、ファンボード3年めにして、やっと!!!コツがわかってきたほっとした顔
いまんとこちょっと後ろ重心になってるからボードの先が浮いて失速しちゃうんだけど、とにかく間合いがわかってきたぞ!
まあさおりはあたしより長く立ってるけどね。

今年は上達できそう!ってわけで、今年は通うよ!
浮かれてロキシーのショートパンツ買いました。
腕が焼けてひりひりするー。


話は変わりますが、土曜まで妹(三番め)が来てました。
先月ママが来て、今月みいきがきて、思うのは、

あたしって家族に対してすごくAwayじゃんか‥。
家族のこと何もしらないし、仕事などで一緒にすごす時間も限られてる。
すぐ下の妹はロンドンに長くいましたがすごく家族と深くつながってることを、一緒に暮らし始めて知りました。


夢を追って上京してから、駆け抜けてきた10年でしたから。


今年はひとつ目標ができて、それに向かってコツコツがんばるので、いままでみたいに盲目的にではなく、
すこしゆっくり、生きていこう。海にいったり、買い物にいったり、人と飲みにでかけたりして。

今年の大晦日は実家に帰ろう。

『あのうちーにー帰ろう♪』

竹内まりやのことを考えていたのに、
でてきた歌はCharaでした(笑)

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