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2007年5月19日 (土)

れきしがうごいた日

おおげさなタイトルなんだけどさ。
あたしには歴史が動いたのよ。

芝居の話だから嫌いな人はスルーで。


今日稽古でニーナをやりました。
自分でもびっくりするような芝居ができました。
いやあれは演技っていうかんじでもない。
その後二時間、放心しました。

たとえば神様に
「このことを続けてっていいんだ」
と思わせてもらえる瞬間て、ごく稀にあるよね。

バスケをやってて、中学時代はずっとベンチで、
高校になって、引退試合のハーフタイム直前に、スリーポイントを決めて同点になって、さらにそれがカウントのファールでフリースローになってそれを決めて逆転したとき。

ジニアスで勤めて3年目のバースデーで、車に乗り切らないくらいのプレゼントをお客さんに貰って、さらに店をあげて、丸々三日間もお祝いしてもらったとき。潰れたくってもみんなが笑顔でいてくれて、背丈ほどもある花をもらって
「チーフは男前でカッコいい」と憧れてくれた新人もいた。
ほんとはトイレでいっつも泣いてたのに(笑)


そんな心境でした。


最近のわたしはどんな台詞をいってもしらじらしくて、
演じてても窮屈で、
こんなはずないのにっていうジレンマと、
実はあたしの才能なんてこんなちっぽけなものだったのかもという恐怖の間にいて、
でもそれならそれも受け止めなくちゃっていう腹据えもあって。

だから今日ニーナを演るということはまさに背水の陣だった。

あたしを見下してるやつにも、
きっとできるのにともどかしく思ってくれてる仲間にも、
なぜかあたしをいい役者だと思ってくれてる人にも、
共通して感じれるくらい、圧倒的な何かを与えたかった。
断じて圧倒的な何か。赤は赤であって青でないくらいの何か。

だから咲子やめんたろうがいないのは少し淋しかった。自己顕示じゃないんだよ。過程を応援してくれてる人に、過程じゃなくて結果で返したいと思ってた。たとえ転んでも。

久米とこうきさんが「いうことない」
と言って、あたしはこうきさんに、認めてもらえないから反発してたのかなという反省も頭のすみっこでしました。
「すばらしかった」
と言ってくれた一平にも、負けず嫌いかもしれないけど、彼が差し伸べてくれた手(題材)ではなく、自分の選んだもので、自分の力でこれを乗り越えたかった。
だからイトバンのサリーじゃなくて「かもめ」を選らんだんです。


わざわざ「よかった」とか「うまい」とか言ってくれたひとにも。トレープレフをやってくれた彼がわたしを絶賛してくれたのですが、

あたしは本当は、なりきる以外に力をもたない非力な役者です。しかもなかなかチャンネルをあわせられないアベレージの低い役者です。そして芝居以外に何もないわたしから芝居がなくなるのを死と同じくらい恐れてる、あきらめの悪い、ちいさな女です。

感情表現をコンスタントにできないのはプロじゃないと、メンタロウが言ってたね。
それでもあなたを素晴らしい役者だとあたしは思うけど。

ただ今日は、出そうと思えば感情をここまで出せるんだということを思い出せてよかったです。

「思い出す」

という言葉がぴったりなほど
長い間、こんな感覚を忘れていました。


そしてはっきりと、
演技というものを「技術」としてコントロールできる、一平とかともさんとは、あたしは違うタイプの役者なんだということも確認できた。

そういう意味でも歴史が動いたと思う。
自分がどういうタイプの役者かわかったのだから。


私は私生活がひどく芝居にひびくタイプです。
芝居しかないのに、恋愛に溺れて、びくびくして
「こせついた、つまらない女になってしまって、でたらめな芝居をしていた」
ときもありました。確かに自分がひどい芝居をしていると自分で感じるときの気持ちは壮絶なものです。
イクイノのとき、実は死にたかった。作品が素晴らしいだけ、余計にね。

アントン・チェーフォフは、女をうまく描いた劇作家だと思う。
「今となっては舞台に立つことも、物を書くのも同じこと。
 わたしたちの仕事に一番大切なことは、名声とか栄光とか、昔あたしが空想していたものではなくって、実は忍耐力だっていうことがわたしにはわかったの」

このニーナの台詞は、実は18のときにはわからなかった。
きっと空想してたからだと思う。

今はよくわかる。

昨日あたしはみんなの前で、ニーナと同じように雨に打たれて、がたがた震えて、絶望しながら、それでも芝居を手放せないでいた。

退屈まぎれに打ち落とされた「かもめ」が自分のように思えて、でも「そうじゃない」といいきかせる。
恋に破れて、精魂尽き果てて、自分をなんてつまらない女だと思いながら、中身のこもらない台詞を、空を切るように言う。
そしてますます空虚などこかにそれは吸い込まれて。

そしてちっぽけで自信のない、かもめの屍のようなあたしが残る。


今のあたしは、幸せだけどね。


こういう芋づる的感覚は女優特有のものだと思う。
男の俳優にはない感覚だと思う。

だからこそやりとげたい。
女に生まれたからには、男にできない芝居をしてやりたい。

来週ももういちどニーナをやる。

錆びてしまうのが、今から怖いけど、
「まぐれ」を「実力」と呼ばせるために、もういちどやる。
きついけどね。あたしみたいなブレのある役者には。

おおげざでひどく滑稽な日記だけど、
あたしを見捨てず、18年間連れ添ってくれているのは、
男ではなく、

演じることとともに生きるこの気持ち。

だれかにとってのピアノのように。
誰かにとっての歌のように。
誰かにとっての…。

誰にとってもそういうものはある。

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