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2007年4月19日 (木)

ヘドウィグ

先日ツアーファイナルで、
東京厚生年金会館で
『ヘドウィグ アンド アングリーインチ』を見た。
オークションで落とした席だが、二階の前から4列目でど真ん中のとてもいい席だった。

自分の中でこの映画が、もうバイブルになっているし、あたしのARTのすべてのルーツなので、
もちろんのことまともな精神状態では見れないが、

ひさびさに、ものすごい衝撃を受けた。

オフブロードウェイではみたことがなかったから、映画先行のあたしは、これはどう舞台にするんだろうかと思ってたんだけど、これは演劇ではない。

生バンドにプレイヤーがついて、イツアークが映画と同じように幕を切り、音楽とともに客席からヘドウィグが登場したとたん、あの広い厚生年金会館の二階席まで全員が総立ち。
これはヘドウィグのコンサートだと思った。

そしてそこにヘドウィグがいた。
びっくりした。だってそれはヘドウィグなんだもの。

公演行くまで、今回のヘドウィグは誰?と妹に聞かれて
「銀平だよ!!銀平!(←華麗なる一族の)」と言ってたんだけど、
ほんとにこれは山本耕史なのかと思うほど、声も歌もそっくりで、ヘドウィグのもつ怒りやせつなさみたいのも、完全にそのもので、度肝を抜かれた。

しかも、多分オフブロードウェイの初演のときがそうだったんだろうと思うのだけど、劇場をライブハウスに見立てて、ヘドウィグがライブをしてて、歌ったり、合間に客に話かけたり、気の利いたアドリブ言ったりして、けっきょくうちらはそれをずっと見てるだけのつくりで、

それってほんとにおったまげるスタイルで、だって多分台本には、ほとんど彼の台詞しかないはずで、いうたら一人芝居なわけで、ミッチェルは、自分の分身がヘドウィグだったわけだから演じるのはたやすかったと思うんだけど、国籍もいろんなものを超えて山本耕史がヘドウィグで居続けることって、きっとそうとう難しいはずなのに、
ほんとにずっとヘドウィグで、みてるこっちは、ヘドウィグのライブに来てる気分だから、一曲ヘドウィグが感情的になって歌えなくなってしまうシーンがあるんだけど、
あたしは入り込みすぎてて、アクシデントで、ほんとに歌えなくなってしまったのかと思ったくらいだった。

その公演が全部のツアーのファイナルってこともあって全部のテンションがおかしなくらいあがってたってのもあるけど、
マイケルジャクソンのコンサートと同じくらいの熱気が会場を包んでて、ほんとに楽しかった。

ヘドウィグは健康な男子が「きもい」とか言ってしまう映画だったりするんだけど、斜め前のはげの親父が、全曲、こぶしを握り締めて一緒に歌ってて、それはそうとう刺激的な景色だったんだけど、
あたしはそのオヤジを抱きしめたい気分になるくらい、
なんか変な気分だった。

サントラというか12曲全部をフルで歌うんだけど、英語発音
も完璧で、歌がめちゃめちゃ上手くて、上手いだけじゃなくて、その佇まいがヘドウィグそのもので、
あたしは全曲ほとんど覚えてるんだけど、
「愛の起源」は一緒に歌いながら、また愛について考えてしまった。中村中も上手かったけど、山本耕史のほうが圧倒的にくるものがあってそれって歌唱力じゃないんだなと思った。

正直ひとりで見に来てよかったと思う。
誰かと来たら、絶対引かれてた(笑)

(以下かなりマニアな日記ですが)

ぴったり重なれる相手を求めすぎると、少しの隙間にも傷ついて、ああ、このひととは何も共有できないと思って、そこで恋が終わってしまうような、そういう埋まらない恋をくりかえして、そうして永遠に、あたしにぴったりはまってくれる相手なんて見つからないというか、そういう考え方の自分が欠陥品な気がして、恋愛というものにはどこか絶望していて、あの頃自分とヘドウィグはさして変わらないと思っていた。

そして変な考え方だけど、心は女なのに男として生まれたという壁を乗り越えてまで、誰かと愛し合えたヘドウィグに比べて、幸いに平凡に心も身体も女に生まれたのにもかかわらず、誰とも埋めあえない自分を、ほんとに欠陥品だと思って、

トランスジェンダーの男の子に恋人を奪われるJUNEという女の子をあたしは創った。

JUNEの満たされなさに、あたしは自分を投影して書いた。
才能は愛してくれても、女として愛してるわけじゃない。
身体は重ねあえても、なにもかもがちぐはぐだったり。
「あたしは完璧をもとめすぎてるのか、、それともまだ、本物を知らないだけなのか」
というJUNEの台詞はあたしの疑問だったし、
寝た相手に、
「愛情はあるけど、女としてみれない」
といわれるたびに、セックスという行為に対する男と女の価値観の違いに愕然として、あたしもときに男と同じ価値観で自分の身体を使ってみたりもした。
でもたいていそんな日から一週間はあたしは気がおかしくなって外に出れなくなるので、そこで結局傷を受けてるのは女でしかいれない私だけだわと思い、

じゃあ女でいてやろうと腹をくくっては、愛しては寝て、泣いたり寝たりして、結局愛することと寝ることがあたしのなかで同じである以上、愛しては寝るわけで、そんなことをくりかえした数年だったように思う。

でも過去にひとり男の名前をあげてくれと言われても、
誰の名前も思いつかない。

でも、今日あんなに満員の会場を見て、
きっと誰もがそんな気持ちをどっかにもっているんだろうなと思った。埋まらない部分を持ちつつ、手をつないで帰ったり、
あのオヤジも、だれかと恋をしてたりするんだろう。

そしてほんとは、
あたしを愛してた奴もいるんだろう。
ただあたしが、
不完全なものを嫌って、見ようとしなかっただけ。

わかりあえなくて当たり前。
ってとこから愛をはじめると、
わりと新しいものが見える。
「今日じゃなきゃダメ」みたいな恋愛をやめると、
意外と「明日」って日の可能性に気づく。


PS 楽日だったんでアンコールで2曲歌ってくれた♪

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